34年の隔たり
2013/11/06

この10月に私が参加している二枚のCDがリリースされた。

CD左:<オンリー ユー / マイクス ジャズ カルテット(アケタズディスク MHACD-2641)>
アケタの店を中心にレギュラーメンバーで 活動するマイク レズニコフ カルテット。
マイクさんはもう30年以上も日本で活動するNY生まれのアメリカ人。
交流があるミュージシャンの話や、日本では知ることのできない情報はいつも楽しい。
私はこのレコーディングの時期(2012年末)は各バンドでガットギターで演奏していた。
そしてこれほどストレートアヘッドなジャズアルバムは初めて。

CD右:<スピック&スパン / ザ スピック&スパン(コロムビア COCB-54067)初CD化>
ドラマー吉田和雄氏率いるスピック&スパンは日本のサンババンドの草分けかもしれない。
そして吉田氏は今や押しも押されぬブラジル音楽界の大プロデューサー。
私が最初に入ったバンドでもある。
なので録音は1979年(昭和54年)。
ありがたくも私のオリジナルが4曲収録。
皆さん達人だが中でもベースの五十川博氏が素晴らしい。

34年の隔たりがある二枚のアルバムが同じ年月に発売された。
あぁ、自分のも作らなきゃとと思いつつ…。

 

 

 

 

 

ギタリストの孤独<ソロ@Poo Final>
2013/08/17

Solidão Do Violonista(ギタリストの孤独)なんてキザなタイトルをつけたものだと思っていたが、振り返ればその場はその通りだった。

100回÷12=8.33333…年

実際にはお休み月もけっこうあったので10年越えだろうか。
Pooは劇団の小屋なので照明が本格的。スポットライトが当たりソロ演奏にはこれ以上ない場所だった。新宿駅すぐ近く、少しの喧噪が洩れ聴こえる。10年の間には隣の居酒屋が騒がしい時期もあったり、その環境は時代と共に変化して行った。

根っからのナマケモノ故、何もしなくならないように月例ライブを自らに課した。10年経って、これを無くしてみたら次は何を考えるのか試してみたくなり、昨日のライブを最後ににピリョードを打った。

お越し下さった皆さん本当にありがとうございました。

Free Form Solo Guitar on YouTube
2013/05/15

shinpeiに刺激されてか、私もYouTubeにUPしました。

しばらく離れていたフリーフォームですが、

こういう自由を思い出させてくれたのはももクロです。

Debut! shinpei on YouTube
2013/05/13

双子の片割れshinpeiがベーシストとしてYouTubeデビューしました。
なにを思ったのか2012年年明けと共にいきなりエレキベースを始め、
私とは正反対の図々しい性格ゆえ、同年秋にはライブも始めました。
田中信正p 斉藤良ds という両実力派に支えられるという
先ずは安心感を確保するところもこいつらしい。
今回の画像はこのバンドで三回目のライブです。
次回は8月です。聞きに行ってやって下さい。
hirokimusic所属なので弊スケジュールに掲載されています。画像クリックでYouTube>>

ドキュメンタリー映画・台湾アイデンティティー
2013/05/10

映画の音楽を担当しました。7/6 (土) 公開。先ずは東京から。

ガットギター一本、新曲です。

他の映像音楽制作も重なり家に籠もった四ヶ月。

ライブブッキングも忘れていました。

今年後半からは新しい編成でのライブもありますのでぜひお越し下さい。

もちろんこの映画も! 詳細は画像をクリック下さい。

 

新宿・富士一
2012/03/07

 

新宿での用事を済ませて午後三時半。
私の夕食の時間だ。
紀伊国屋付近にいたのですぐ近くの定食屋”富士一”に向かった。

富士一は40年以上この場所で営む。
のれんをくぐると、一番奥の厨房から女将の「いらっしゃい〜!」と突き抜ける声に迎えられる。
食べる前に先ずこれで来店を実感する。
野菜炒めが美味しい。
どこにでもあるような食堂だけど、
大将が造る優しい味と、女将の威勢と愛想に惹かれて35年通った。

今日、近づいても看板が見えない。
ビルは解体されていた。

お隣のこれも名店おでんの”お多幸”の店員さんが表に立っていた。
その風体から店長さんらしい感じもした。
往来で人に声を掛けることなど滅多にできない私が尋ねた。
……なんと去年の暮れに閉店したそうだ。
新宿で食事といったらここだった。
なんとも淋しい日となった。

極寒の北海道四日間
2012/02/21

 

この時期にも何回かは来たことがあるが、やはり臆するものがあった。

予報では連日マイナス7度とか9度とか。

しかし屋内は暑いぐらいだ。内外の差は30度以上にもなる。

最初の二日間はボーカルのMizuhoさんのデモレコーディング。

飯田雅春b ヤヒロトモヒロperc と私の三人でバックを務めた。

Mizuhoさんの新しい挑戦の始まりかもしれない。

レコーディングに集中していたので写真は撮れなかった。頼む事も忘れていた。

二日間、魚が旨かった。蛸の頭刺しは良い。

 

♪パウダースノーのなせる技

 

ニセコの雪は世界一と海外のスキーヤーが言う。

木々の枝にも綿の雪。

三、四日目はヤヒロトモヒロperc とデュオミニツアー。

トモヒロとももう30年。

五つ下の彼とは、明るく丈夫な弟と神経質な兄のような関係。

昔から演奏の心配は全くない。説明は要らない。

 

♪蝦夷富士・羊蹄山(標高1898m)

 

四日目、快晴のニセコから余市方面に下山。

途中海岸沿いを走るオタモイ辺りは吹雪。あまり先が見えない。

小樽を通って札幌を抜けて夕張郡長沼町へ。

農業の町。

私よりちょっと上の世代のグループによる手作りコンサート。滲みる。

私のオリジナル「Oborozuki」をやって、曲名を紹介した。

すると終演後、人望厚そうな男性が農家を営む自宅に車を走らせ持って来てくれた。

のがこれ。 ↓  恐れ入った。味は後便で。

♪もはや稀少な米 おぼろづき

 

 

岩手県宮古〜盛岡
2012/01/23

♪カントリーズCafe マスター HI氏と再会

 
1/20、東京は初雪。雪深い岩手に向かう気持ちも更に引き締まる。
も、東北新幹線関東を抜けると薄雲、降雪なし。

……福島通過は心が締め付けられる……

盛岡駅で8分の乗り換えを心配するも定刻到着定刻出発。
山田線は辛うじて宮古までは運行している。宮古〜釜石など沿岸部は線路が無い。
盛岡から水平に東に向かい”本州最東端の町”宮古に着く。
1630で早くも薄暗かったが、自分の目で確かめたく、
タクシーの運転手さんにお願いして港〜高台を一回りしてもらった。
この9月に行った釜石同様、爪痕は色濃い。

まだまだたいへんな日常のなか聴きに来て下さった方の話も聞いた。
ギターも譜面もみんな流されちゃったら、私はどうするのであろうか。
でも、終わってみればこちらがみなさんにご馳走になってしまって恐縮至極。
「おかずや」さんの惣菜とおにぎり&ケーキ、ごちそうさま。ほんとうに美味しかった!

 

♪この蔵の中は盛岡正食普及会という自然食品店 ここのロシアビスケットはおいしい

 
1/21朝、930宮古発に乗らないと盛岡入りに間に合わない。
バンドマンにはちと辛いが冷たい空気で一気に目が覚める。

山の中を走る山田線。美しい日本の風景。至福の二時間。
しかし今回雪が異常に少ないという。

盛岡では30年以上世話になるS氏とまずは蕎麦を戴き、
フレンチコーヒーが美味しい喫茶”クラムボン”に行った。
壁には数点の女性を描いた絵画が。素晴らしい。
かのとゆり画伯、21歳だという。ネットに未だ情報はない。

なんだり館では、ママさんと息子さんの人柄が呼ぶお客さんに囲まれた。
終曲の頃、窓に綿の雪が舞った。S氏の狙い通りだった。

 

♪開演前は…

 
1/22午後、盛岡岩山展望台喫茶GEN・KI
この日は曇りで岩手山は見えないか、と皆諦めていたが、
開演直前になったらあたかも舞台装置であったかのように雲はどこかへ消え、麗姿を現した。
お客さんの目の前にはひとりのギタリストとこのホリゾント。
これもS氏の思惑通り。凄い人だ。
小生は晴れ男を自画自賛。

 

♪開演時になると…名峰岩手山(標高2,038m)

 
仙台に帰省中だった佐々木優花fl さんが二曲吹いてくれた。
初めて彼女のオリジナルを聴いた。
町に降りて花巻から来てくれた友人達も一緒に焼肉冷麺”ピョンピョン舎”で軽く打ち上げ。
ここの冷麺は好きです。

S氏等はいつも新幹線ホームまで送ってくれる。
__小さいとき、祖母と姫路の親戚のところに行く際、東京駅ホームまで送ってくれ、
今生の別れでもないのに泣いていた伯父を思い出す__
ありがたくかなしく、苦手なんだよな……。

 

岩手県盛岡、釜石、大槌の旅
2011/09/30

♪小生、渋谷さん、土井君

9/22:古澤さんが30年前最初に連れて行ってくれた盛岡に、今回は渋谷さんのセットで行く事ができた。もちろん30年ぶりではない。頂いたご縁でこれまでも良く来た。ピョンピョン舎の冷麺は旨い。ここの聴衆は耳が肥えている。いつも緊張する。

クラリネットの土井徳浩さんと三人。土井君とはまだ三回目の共演だが、旅となるとアフターでゆっくり話すこともできた。もちろん私が無理やり誘った。話せば、彼の演奏はもちろん、その視点も興味深い。11月28日のCool Glade@ピットインにもお呼びする。

 

9/23:単身、太平洋岸・釜石に向かう。盛岡から花巻までは後ろ向きの座席で進む、花巻から列車は逆進、のどかな釜石線を走る。途中の遠野、なんとも美しい。
しかし近づくに連れ緊張感は増す。目的地に着くまでにこんなに気が高まったことはない。ついに釜石駅に着く。早速、ジャズ喫茶タウンホールのマスターKK氏が港を一周してくれた。

想像を超えるとはこのことだ。

大方の瓦礫が撤去されていてもだ。堤防に乗り上げられた大型船ASIA SYMPHONYの巨大な艦首が物語る。

タウンホールが2011年8月9日再開した。沿岸部の被害が大きかったことは言うまでもないが、店は階段一段の差で残った。しかし営業のGOサインが出るまでには多くの過程があった。私は20年ほど前に坂田明さんとデュオで演奏して以来。今回はもちろん私を育ててくれた東北に御礼に、そして再開店の祝いに来た。店は31周年だそうだ。

アフターで皆さんの話を聞くが、とてもここには書けない。遅くまでつき合ってくれて、運転代行で帰るも、その先は仮設住宅。「住宅会社提供の仮設は良いんですよ〜」東京なんかじゃ分からないことがいっぱいある。

 

♪ここにクインがあった 向こうはすぐ海

9/24:KK氏に隣町・大槌に連れて行ってもらった。途中の鵜住居(うのすまい)も剥ぎ取られた山田線の線路に始まり、その景色にはもはや何も写らず。

大槌には、日本最古級のジャズ喫茶「クイン」がある。クインのマスターK氏は盛岡・S氏と共に岩手県のジャズの精神的支柱。クインも全てが流された。2万枚のLP、CDも……。あとから10枚だけLPが見つかったという。後2年でクイン50周年だったとマスターは悔やむ。花巻に避難生活するマスター、墓参に大槌を訪れる。そこで合流した。無数の哀しみの中、奇跡の再会を果たす。震災、津波、そして火災にも見舞われた大槌。この地の復興無くして、岩手の、東北のジャズ界再生は無い。

♪小生、K氏、KK氏 お寺の本堂があった辺りで

釜石でも、大槌でもほとんどカバンからカメラを出すことはなかった。気持ちが向かない。そして、あれだけ報道で見てきたが、実際は全く違う、なにも分かっていなかった。

私の演奏でお役に立てるのであれば、今後もにぎやかしに来たい。ご紹介乞う。

 

「古澤良治郎 名曲演奏会」プログラム
2011/06/12

プログラムが発表されました。

チケットはまもなくSold Outになります。お早めにどうぞ!