明日1

 ワークショップも15年ぐらいやってきたので、かなり多くのミュージシャンと知り合ってきた。たいていがしばらく通 い、音楽のやり方がある程度分かり、つながりができてくると巣立っていく。私はそれでいいと思っている。おおいに利用して欲しい、そして実は誰より私が利用させてもらっている。門は開いておくものだ。ミュージシャンの数は、私が音楽を始めた20余年前とは比較にならないほど増えた。ライブハウスも増えた。と言うことは音楽を聞く人の数も増えて、これは音楽シーンの活性化だと喜んだりもしたが、よく観ていると少しようすが変だ。
「楽しめた」の意味
 数と共に価値観も多様化し拡散した。20年前は目指すターゲットがそれぞれの志向性の違いはあれど、はっきりあって、音楽の質を高めるという点で共通 していた。もちろん音楽を楽しむことが大前提であるが、やる側の立場として、演奏家としての意識と楽器をコントロールする精度を高めることが一番大事なのではないか。  TVでスポーツ選手のインタビューを聞いていると、勝っても負けても成功しても失敗しても「楽しめた」という答えが返ってくることが多い。彼らは人知れず血の滲む努力をして、練習の中から自分の可能性を発見して、それを確かめながら進歩することを繰り返す、だからひとつの結果 に後悔しないし、本当の意味で楽しいと言える。一部の音楽家はこのことを表面的にとらえてはいないだろうか。
欲求と誘惑
 ライブの現場は欲求と誘惑の坩堝である。お客は入場料を払って来てくれるのだからミュージシャンに対して最高の演奏を際限なく求める。ミュージシャンもそれに答えるべく必死に演奏する。そしてそこには、酒も有り女性もいる。この自他の欲求と誘惑の中、演奏を通 して雄叫びをあげ自己確認する。しかしここで自己完結して終わってしまってよいのか。演奏の現場は社会との接点であり結果 を出せる重要な場所ではあるが、それが全てではない。そこで起きた結果はその時点での全てであるが、スポーツ選手のように、その過程を大切にしなくてはいけない。
 ある程度センスと能力があればいわゆるライブ・シーンで活躍しスターになることも不可能ではない。そんな程度の素材は探せば居る。しかしかつての歌謡・ポップス界のスター達の行く末がそうであるように、永遠(人生、こころ、人柄、クウォリティ、真の生活感)を感じさせてくれない音楽は消えていく。即興演奏家がある時期ある瞬間、秀でたアドリブをやることは、ヒット曲が一曲出たのと同じ程度のこと。活動、創作の持続とは意味が違う。
品格と重厚さ
 私の基礎練習に対する考えはこう。楽器は(声も)、ミュージシャンの表現の手段、媒体。その技術を磨くことにより表現力が身に付き(この辺であくびをする若者もたまにいる)、自分が思ったことを最良の状態で表現できる。そこには磨きあげたものしかない品格と重厚さがある。しかし最近の世代には「音楽快楽主義」とも言うべきか、この瞬間楽しく演奏できればいいという「刹那」を感じる。
 私は楽器を充分にコントロールできない頃、音楽をしながら楽しさと同時に人前に出ている後ろめたさも感じていた。私は特にそれが大きかった。それは演奏しながらにして、自分の理想とする水準に遙か及ばない事によるストレスからだ。目標があって自分の水準がそれに達していないという悔しさからである。思えば10年20年後はかくありたいという目標があった。これはすなわち、歴史上のマエストロや同時代の尊敬すべき人たちと競合していこうという覚悟から出てくる発想だ。そういう目標をたてられる時代でもあった。
先が観えない
 今はどうか?40代の私でさえ明日のことは分からない。俗っぽく言えば、地震が今来てもおかしくないし、北のミサイルが来ても、新宿を歩いていて中毒患者に刺されてもおかしくないし、そして何より、この景気でミュージシャンがどうやって生きていけばいいのかということを、働き盛りの私たちが提示できないのに、若い人に夢を持てと言うのが無理な話だ。
 将来に対する希望より不安の方が大きいので、どんどんスパンが短くなる。そして瞬間だけを大事にして自分と友達を大事にしなくなる。音楽は演奏しているその瞬間に全てが起きるので、日常の不安定と人間としての欠落を一時的に忘れさせてくれる。その瞬間の快楽を抱え日常を否定していく。先が観えないから大きな目標を持つ必要も無い。
 時代のせいか?いや、以前にはもっとひどい時代がきっと有ったと思う。私は、音楽シーン多様化のディメリットとして、本質としての象徴の歪曲化にすぎないかと考える。つまり、本当はこれがやりたかったり、一番凄いと思っている事がありながら、対峙に耐えかねて自分の方法論や個性を誇張する、そこに逃げる。本質から目をそらして悠然と生きていける時代。
 1999年2月、あと一年と10ヶ月で新しい世紀が来る。ことごとく今までの常識や考え方が当てはまらない時代になってきている。淘汰のさなかに生きる。(99/02/20)

copyright(c)Hiroki Koichi,1999

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