| 〜HIROKIワークショップ再考〜
音楽を志すより多くの人間と出会うためにワークショップを続けている。いろんな人が来る。プロ志望、アマ志向、楽器を始めたばかりの人、音楽の才能はあまり見受けられなくても本人エラク楽しんでいる人。これらの人達と全て相手をさせてもらってきたおかげで、仕事の上では決してバリエーションが多くなかった私の経験不足を、思いもせぬ 形で補うことができた。言い代えればみんなが私にレッスンをしてくれてきた。しかし発足約15年経ったこのごろ、私の中でなにかが変わった。
音が聞こえなくとも絵が
20〜30代は、生まれ持ったこの良く言えばシニカル(良くもないか)、悪く言えば多少ひねくれ者(多少でもないか)の性格ゆえ「手抜きのプロより本気のアマチュア」などと言って、アマチュアの純粋さにリアリティを感じたものだった。確かに今でもその気持ちに変わりはない。プロ・アマ共にその演奏で私が一番気になるのは、音と同時に何か(something)を感じさせてくれるかということ。技術・表現力の足りなさから音になって出てこなくても、そのプレーヤーが何かを思っただけで私は満足する。音が聞こえなくとも絵が見える。「プロだけ」ではなく「プロもアマも」と枠を広げたことで、ワークショップにおいては不十分な音の中にも良い絵をたくさん観させてもらった。
40代になって「これから」「残り」「ほんとは」などということばが頭をかすめる。私の一番の音楽的目標は、自分の曲をレギュラー・グループで展開していくこと、自作自演即興演奏バンド。もう一つはソロ、デュオなどアコースティックな小編成で、ギタリストとしての自分のサウンドを探求すること。これらのことを決して後回しにはしてこなかったけれど、もっと最前面 に押し出したくなってきた。時間とエネルギーの配分に変化が出てきたのだろうか。そしてやっぱり最高なのは「本気のプロ」。
ワークショップ今昔
参加者の様子も少しづつ変わってきた。不景気による参加者減少もある。毎月同じ場所でやっているからいつでも行けるというのもある。こちら側の不徳の致すところもある。しかし私には、来た人と真剣に演奏のお相手をすること以外やれることはない。気がついたことが有ればコメントする。
時々困るのが、初めて来て二度と来そうもない顔をしていて演奏も散漫なのに、私にコメントだけ求める人がいる。こういう人はなにか得をして帰りたい願望が強いのだろうか。私にしてみればとっくに演奏で決着は着いているのだが。
15年の歴史の中には閑散期もあって、私一人でドラム、ベース/ギター・アンプ、PAなどをセッティングし、参加者を待つ淋しい時期もあった。でもここ数年はスタッフに恵まれている。その人達も演奏と出会いを楽しみに、私が行く前に全てセッティングしていてくれる。100%ボランティアとして。それは限られた2〜3人の人たちでもある。
各地への波及
演奏旅行中に出会う各地のミュージシャンたちが、ワークショップに興味を持ち共感し、年一回の夏合宿に参加してくれる。彼らはそこで得た合奏の大切さ楽しさ、興奮を地元に持ち帰り、彼らのワークショップを発足させた。全国数カ所に及ぶ。
ジャム・セッションとワークショップは似ているようで少し違う。ジャム・セッションは、セッション・リーダーの力量 によって大きく変わってくる。集まってただひたすら自分のことで精一杯に、また自己中心的に演奏されることの多い中、リーダーのバランス感覚が問われる。プレーヤーは、エゴの坩堝の中で生き残ることが、音楽の世界そのものでもある。
ワークショップはその名の通り最初から目的感があり、全員が向き合っている。私は自分よりキャリアの無いひとに、どうやったらよりよく演奏させられるか、理解させてあげられるかを、自分自身のテーマとして位 置づけた。誰にでも公平に演奏に参加する権利が有ることの自覚を促すことと、自発性無くしては何も起こり得ないことを伝える二つの要素がある。
理想のワークショップ
私の考える理想のワークショップは以下のよう。場所はホーム・グラウンドであるライブハウスやガレージなど、気兼ねなく音を出せる場所で有ればどこでも良い。集まりやすいところならなおさらいい。そこにはホストとして私のレギュラー・グループのメンバーが居て練習をしている。バンドのレベル・アップを図るにも格好の環境。そこに興味をもつ参加者が訪ねて来てセッションをする。私、グループにとっての道場に仕立て、参加者の来訪を待つ。
しかし現実にはそうは行かぬ。みんなの多忙、生活圏からして、非営利サークル活動を優先してもらうわけにはいかない。生活の為の仕事が最優先、これは私も同様。そして私がつき合ってもらっているミュージシャンは遠くに住んでいる(私のところから)人も多い。北は北海道、南は広島までいる。集合したときは感慨深いがそれまではたいへんだ。身近な人がいつ遠くへ引っ越してしまうかも分からない。外国かもしれない。なにかで二度と会えないかもしれない。だから今起きていること、今居る人を大切にする。今しかない。
ワークショップと私
ワークショップというのは、私にとって第一義的には自分のためにやってきたから、その意味合いと役割が終わったと感じたらその時終了する。しかし、大勢の人が絡んでいてみんなのものでもある。ピークが過ぎたバンドを解散するのとは訳が違う。いずれにしても時代の流れの中で存在価値も問われているようだし、場所、ペース、システムなど再考を余儀なくされている。今年度合宿を成功させ、そのころには結論を出せるか。
最後に「HIROKIワークショップ」とあえて"HIROKI"を頭にのせている理由をお話ししよう。いつの時代でも状況が変われば場所、スタッフ、全てなくなってしまうということも無いとは言えない。閑散期を経験したときに最後に残るものを考えた。それは私。(99/06/03)
copyright(c)Hiroki Koichi,1999
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