ライブハウスに期待すること

 知らないうちに20年が経っていた。中学時代の報道写真家志望から一転して音楽を始めたのが18才の時、おそれを知らず二十歳ぐらいから始めた自分のバンドを皮切りに、多くのバンドであらゆる事を経験してきたような、はたまたずっと同じ事で悩んでいるような。
 この20年間自分にとっての”居場所”であるライブの場について考えてみる。お手軽な音の時代  以前はレコードをかけるジャズ喫茶で名盤、新譜に出会い、それを店のマスター自慢のオーディオ装置をもって限りなく原音に近い状態で体験し、その音量と共にリズムが体に染み込んでいったものだが、残念ながらそういう店も最近めっきり少なくなり、風潮もなくなった。
 今は個人個人がいつ何処ででも音楽を楽しめるようになったが、悲しいかなこの日本の住宅事情の中でその装置はヘッドホンステレオとラジカセ、ミニコンポだ。聴きやすく圧縮されたハード&ソフト、これはまずい。音は耳と体で感じるものなのに耳にしか届かない、奥行きと音圧が伝わってこない。そしてみんなこうやって耳と頭だけで音楽を処理しているから、ミュージシャンまでが平面的な音楽を演奏し、気配にも鈍くなる。
 音は体験するものだ。偉大な先人たちの分厚いサウンドをリアルに体験できず、ただ音の情報として受け入れるしかなくなったこんな時代に、生の音に直接触れることのできる最後の砦としてライブハウスの役割は重要だ。
ライブハウスの役割
 ジャズはそもそもライブハウスで育った音楽をスタジオやライブでレコーディングしそれを輸入していたわけだが、今この時代、音楽の検証場所が日本でもライブハウスに集約されてきたようだ。
 これは我々ミュージシャンにとっては逆に望ましいことだ。もちろん我々が作るCDもふだん家で聴いて欲しいのだが、ライブに来てくれることは格別 に嬉しい。そしてライブハウスに来たらできるだけ前の方に座って、コンサートホールより更に生々しく、楽器の生の音を聴き、音圧を感じ、気配、呼吸を感じとって欲しい。それらが音楽の中のとても重要な要素だということが分かっていただけると思う。
地域社会への広がり
 そしてもう一つは、質の高い音楽をその地域社会へ広めて行く役割、店主が常連が啓蒙するというわけだ。CDソフトの購買層のほとんどを中高生が占めている現代、それらのほとんどが産業としての音楽作品だ。流行、趨勢を主眼に置き、若者子供達をターゲットにしたトッピングミュージック。これらが90数%を占めるソフトの中からいいものを探し当てるのはたいへんだ。たとえば専門誌ひとつに出会うのも最初は誰かからの影響だし、先輩友人に「このCD聞け!この本読め!」と言われていいものを覚えていくわけだ。
 偏向は得てして特徴にもなるので歓迎するが時代錯誤はごめんだ。そんな出会いの場所としてライブハウス、そしてそこのマスターの役割は大きい。私自身地方巡業を続けている今、公演の先々でその重要性と効果 を痛感する。
 こんなところが私の見るライブハウスの意味あいの一面だ。演奏側の実力と努力次第でどこまでも確実に聴衆に対し伝達できるこの環境の中で、演奏し生き抜いて行くことがミュージシャンの仕事であり生き甲斐だ。(96/2)
copyright(c)Hiroki Koichi,1996
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