日課2:コピー

ミュージシャンの日課シリーズ第二話は、コピーについて。

 超めんどうくさがりで集中力もない私は、このコピーという作業があまり得意ではない。しかし、自ら掲げたミュージシャンに必要な三つの大事な日課の一つであるので、その重要性についてお話しする。

コピーとは
 先ず、コピーとは何を指すか。音楽的に価値のある演奏を、自分の力で聞き取り、採譜し記憶し、そっくりに演奏し、咀嚼する。自分の骨肉と化してしまえば、忘れてしまってもかまわない。
教材
 近頃、数多ある音楽教材の中から何を選択すれば良いのかも難しいところだ。コピー(採譜)された譜面 集、理論書、フレーズ集、コード(和音)ブック、譜面とマイナスワンCDのセット、教則ビデオ。音楽に対するアプローチにはいろいろな方法があるものだ。私はこれら全てを否定はしない。人によって得手不得手があるので、その人の弱点を補うきっかけとして方法が違っていて当然だからだ。
 しかし、これらの効能はあくまできっかけや考え方に幅をもたす程度に過ぎず、アドリブを生み出す充分なバックボーンには成り得ない。演奏上一番大事な、リズム、表情、パワーは本には書いてない。CDの中からは、少なくともリズム、表情を感じとっていくことができる。
コピーの効果
 それこそ数多ある名演の中から、自分で素材を選択するところに既に意味がある。選択そして厳選したものの蓄積が、その人の個性や特徴の形成に大きく繋がる。
〈センスは身につけ磨くもの。〉
 自分が気に入った演奏を、数十回、時には何百回何年かかったりもして、解るまで聞き込み食らいつき、解析する。いっぺんに全部解らなくてもいい。しばらく経って違うきっかけで、今まで聞こえなかった音が聞こえたりもする。
〈要はあきらめないことだ。〉
 スケールや理論を知っていてもアドリブができない人が多い。私も昔そうだった。単語や漢字をいっぱい知っていても、説得力のある文が書けるとは限らない。材料、理屈が揃っていても、作り方のセンスや、何を言いたいかという動機がしっかりはっきりしていないと宝の持ち腐れだ。しかし、コピーという作業は根気のいる作業なので、私に限らずみんななかなかしない。そしてアンチョコに頼ってフレーズを仕入れる。ではこの方法の何がいけないか。
耳で覚えよう
 クラシックなどで最高の技術と音楽性を身につけた人が(クラシックのリズム感をもって)、ジャズのアドリブ・コピー譜を見て弾いたとしても、それはジャズにはならない。ジャズの(他の音楽も)一番特徴的で大事なところは、リズムのニュアンスにある。八分音符の前後比(音量 、長さ、アクセント、音間のカーブ)などは、実に微妙で、また、場面によって相対的に変化するので、完全な記譜は不可能だからだ。
 音符の微に入り細に入ったコントロール、ニュアンスのことなどマニュアル化することなどできないし、ナンセンスだ。だから、我々は聞いて覚えていくしかない。
 例えば、スタンダード・ナンバーの"There Will Never Be Another You"の冒頭の部分、譜面 上は、弱起一拍を含み9個の四分音符が並び、3小節目の全音符へと繋がるように記譜されている。これを記譜どおり受けとめてそのまま弾いたとしたら、なんとまのぬ けたフレーズになることだろう。
 フレージングの実際は、たくさんの名唱名演からその方法を学ぶ。バランス感覚を働かせて、フレーズ化、ジャズ化する。
〈そもそも楽譜は簡略化して書かれていると思った方がいい。〉
付加価値
 同じところを根気よく何回も聞いていると、まわりの音も聞こえてくる。トランペットをコピーしていても、いつのまにか、バックのピアノ、ベースの演奏も耳慣れて染み込んでいく。ここで楽器間の演奏時の関係が良く見えてきて、バンド全体が解っていく。
栄養補給
 コピーにあまりにも依存して、本人がコピーになってしまっている場合がある。ミイラ取りがミイラに。これは明らかに人のふんどしでの相撲だし、独創性への自己怠惰だ。こういう人は、フレーズを一つの持ち札として捉えている人が多い。その場面 に合うフレーズを頭の引き出しから出して並べる。借り物であろうと盗品であろうと、サッと出してその場を凌ぐ。なんとリアリティに乏しく主体性に欠けるのだろうか。
 私は、〈音楽は音の絵合わせでは無いと思う。音は噴き出し、生み出すものだ。〉
 したがって、コピー作業はミュージシャンの栄養補給だと位置づけたい。在庫補充とも貯蓄増とも思いたくない。CDの中のフレーズの価値は、あくまでそのメンバー、環境、演奏において”その時”効果 を発揮していたのであって、今の奏者がそのまま引用しても場違いなだけだ(パロディは別 )。影響を受けながらも自分で創作していくところに価値がある。
 たくさん仕入れて、理解して楽器でマスターして、完全消化する。そして最初に述べたように忘れてしまってもいい。
 自分で苦労して採った音は、必ず栄養となり、自分の音楽に反映される。何年かかってもいいから、自分の方法で自分のサウンドを作り上げる、そこに音楽の楽しさと人間の尊厳を見る。つづく。 97/5

copyright(c)Hiroki Koichi,1997

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