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音楽界の巨匠が次々と他界していく昨今、彼等が元気なうちに見ておきたいと、強く思うようになった。ギル・エバンス、マイルス、ピアソラ、オスバルト・プグリエーセ(アルゼンチンタンゴの巨人)等は見ることができたが、私は世代的にも、エリントン、ミンガス、モンクは見ていない。こんな後悔からロリンズが来ると必ず行く。元 気でいてくれてほんとに嬉しい。そのロリンズの次の世代の重要人物にウェイン・ショーターがいる。
今回は、G, B, P, Ds を従えたクインテットによる来日だ。私はジャコが在団していた頃のウェザー・リポートをはじめ何回か見ているので、ショーターのあの計り知れない存在感と牽引力は知っていた。
私の後輩たちが声をかけ合って総勢16人大挙して押し掛けたのだが、若いみんなは初めて触れるショーターの説得力溢れる独自な世界へ引き込まれ、そのステージに釘付けであった。そんな中、ひとり私はベーシストに集中していた。
居て欲しいところに居てくれる
アルフォンソ・ジョンソン。ウェザー・リポートの、確か二代目ぐらい(ミロスラヴ・ヴィトウスの後)のベーシストとして世に登場した。当時は、パーカッションの様なミュートされた実にユニークなサウンドで注目を集めた。私の知る限りでは、その後、ロリンズのカルテットでパット・メセニー等と共に来日し、やはりそのパーカッシブな不思議なベースプレイを披露した。しかし今回は、ショーターの指示があったかどうかは分からないが、普通 のナチュラルなベーストーンであった。
5弦のエレクトリック・ベースによるその演奏は、自然で、力強く、流麗で、たのもしい。けれん味はみじんも感じさせず、ひたすら、低音部担当楽器奏者としてそこに存在し、バンドを根底から支える。なにより、居て欲しいところに居てくれる。低い音・高い音・タッチ・長い音・短い音、ETC、そのときそこに一番必要なサウンドを提供する。ショーターとのその即興的対位 法は見事なまでだ。もう一度言いたい、これこそが対位法だ。
ベースソロになると、オリジナリティ溢れるメロディを強くやさしく綴る。例えればそれは、行ったことのない所へ連れて行ってくれる感じだ。音楽的に言えば、元々ある枠(コード・リズム・サイズ・その他約束ごと)を取り払って、自由に自分の線・点・面を描き空間を創って行く。これがとてつもなく大きなスペースを感じさせる。
「枠」とは何だろう
枠のことを少し拡大して考えてみる。
この「枠」を取り払うと、自由を得る代わりに、演奏する側も聞く側も難しさを感じることが多い。枠は判断基準でもある。塗り絵のように最初に下絵があって、そこに 好きな色を塗っていくか、はたまた白い画用紙の上にラインから自由に描いていくか、更に進んで、キャンバスを自分で選択するところから始めるか?
塗り絵が一番分かり易い。枯葉、ステラ・バイ・スターライト等これらみんなの頭の中にある枠を利用して、それにどう対比していくか。これが一番、演奏する側としては試しやすいし、聞く側も判断しやすい。スタンダードナンバーが人気があるのは、その曲想が愛されているだけではなく、演奏を評価する際の「心地よいものさし」に成りうるということか。
「枠」を取り払う
しかし、先進的な表現者は、既存の共通ガイドラインに頼らず、この「枠」を取り払い、自らの主体性とバランス感覚によって表現することに挑戦する。依存・重複・反復を極力避け、自立を経て独創性を開花させる。こうして古いルールを脱ぎ捨てていくこと、更なる自由を得るために生まれた更新されたルールの中で奔放に演奏し、脱皮を繰り返していくことが、先進性の証明であった。こんな歴史が繰り返されてきた。
数十年に渡り歴史上のプレーヤー、アレンジャー、プロデューサー達によって、その枠を取り払い、表現を成立させる努力が繰り返され、色々なサウンド・リズム・メロディ・音色の組み合わせが試されてきた。しかしこの世紀末に至り、全て出尽くした感がある。ポップスにおいてはもうかなり前から、カバーバージョンに頼らざるを得なくなり、ジャズにおいてもやることがなくなって「回帰型昔は良かったねバンド」が人気を得、安住している。
「枠」を乗り越える
こんな閉塞状況の中で、いつの時代でも信じられることのひとつに、「躍動するリズムと突き抜ける音色」がある。どんな音楽にも共通して、プレーヤーのその存在を示す一番分かり易い、そして正直にその内奥までも表してしまうのが、躍動するリズムと突き抜ける音色。ここができているプレーヤーはまず、自分の呼吸・語法を持っている、そしてそれは主体性・生命力が生みだすものだ。このレベルとエネルギーを持ったプレーヤー同士の演奏になれば、ジャンルが違っても演奏という会話が成立し、そのときのルールが生まれ、良かれ悪しかれ新しい「枠」もできてくる。そしてまた 、その枠をとりはらう努力が繰り返される。
今、全てと言っていいほどいろんな事が試され出尽くし、この混沌の中で残っているのは、マジョリティとしての「回帰延命型」か、マイノリティとしての「迎合不可自分の叫び型」だ。私は、演奏・作曲をとおして、でかい声で腹式呼吸でうたい続ける。自由に、そして「自分に今に素直」である演奏をして行きたい。
いい音楽は私たちに多くのことを考えさせてくれる。
ショーターの偉大さに多少免疫のある私ではあるが、この日は終始胸をつまらせ、涙をこらえアルフォンソのベースに聞き入った。たった1時間で永遠を感じさせてくれたそれは、明らかに「いい人間による音楽」であった。(96/11)
copyright(c)Hiroki Koichi,1997
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