私の四大ギタリスト<音楽のでどころ>
こういう話題はそもそも好きではないので今までさけてきたが、私の音楽に関する思い方考え方を話すのに分かり易いたとえとなりそうなのでお話する事にする。以下に登場するギタリストたちは、私が考えるところの”最も音楽に必要なもの”を持っている。ゆえに私にとって最高のギタリストなのだ。まずはそのラインナップ。
【アタウアルパ・ユパンキ】
アルゼンチン・フォルクローレ弾き語りの巨匠。その音色のすばらしさは、あのセゴビアでさえ早くから最高位 の形容をしていたほどだ。美しく優しく頼もしく、そしてもの悲しい。歌声もしみじみと聞き手の心に深く入り込む。生活、人生をなに取り繕うことなくそのまま歌い奏でる、彼の人間性、背景がそのまま見えてくるようだ。その深さと自然発生度が一級品なのだ。そのセゴビアを聴いてみたら、意外にもその動機に疑いを持ってしまった。技術、音色、解釈、存在感、なにをとっても不世出のクラシック・ギタリスト、セゴビア。しかし、ユパンキからにじみ出てくる「これしかできないんだよ・・・。」とも言っているような、なにものにも代え難いアイデンティティは聞こえてこなかった。
【バーデン・パウエル】
一度だけだが観ることができて幸せだった。たとえ指がもつれたとしても、決して途切れることのないリズム。計り知れない大きさを感じさせるバックグラウンド。一曲や二曲、ワンステージ、CD一枚、といったそんな小さな時間、単位 ではない、とてつもなく大きなスイング感がある。脈々とと言う表現はこういうときに使うのだろう。表に出ているバーデンは氷山の一角のよう。彼の後にも多くの逸材を輩出してきたブラジルだが、そのスケールの大きさは桁が違う気がする。作曲家としても有能。
【高柳昌行】
不肖の弟子が言えた義理ではないのだが、こんなに強い音楽家は過去いなかっただろうと思う。音楽にはいろんな角度からの聴き方がありいろんな価値観がある。しかし、ふるいにかけていって最後に残るものは、その人の存在。そしてその人のリズム。あまりにも強烈なビート感だった。私はいま聴いてもアストル・ピアソラより強いと思う。ジャズのみにとどまらず、多ジャンルに渡りその理解を深めたが、高柳の特徴は、決してそれらを曖昧にブレンドしなかったところにある。それぞれのリズムのグルーブ感、成り立ちや構造、歴史を大切にし、明快なコンセプトの許演奏していた。よくある、うわべのエッセンスだけを引用、盗用して自分の音楽の要素に加えるという安易さと短絡をことごとく嫌った。
【ジミ・ヘンドリックス】
ちょっと受けねらいのエントリーでもあるが、彼も本物だ。ステージでのパフォーマンスの派手さが売りのロック界において、歯で弾いても燃やしてもリアリティを感じさせた。いさぎよさ、失うものが何もない強さがあった。歌いながらの弾き方にも巧みさがあった。なにせ気持ちがいい。ロックはこうあれ!
<共通点>
1:オーケストレーション
四氏に共通して言えることは、まず、ギター・サウンドのバランスが良い。ベルリオーズ曰くの「ギターは小さなオーケストラ」を、オリジナリティあふれる奏法で(ここが大事)体現したこと。簡単に言えば、聞き手に「寂しいのでほかの楽器の音がほしい」などとみじんも感じさせず、一つの音楽として完結させたことだ。彼らは演奏家の必須条件としてソロ(独奏の意としての)を成立させたのだ。ソロは、楽器の支配、音楽の理解、孤独との闘い、など演奏家にとって最重要課題が凝縮された世界。各氏十分にそれを満足し、それどころかソロであることすら感じさせない豊かな音楽を創り出した。
2:オリジナリティ
ユパンキの項でも触れたように、私が最も重要視したいのは、音楽家の動機、アイデンティティだ。セゴビアにして感じさせてしまう、その人の音楽の「でどころ」というのは・・・いったい何だろう。誤解の無いように言えば、私もクラシック・ファンである。例えば、運良く3歳から聴いてきたルネ・レイボヴィッツ指揮・パリ交響楽演奏協会管弦楽団の♪ボレロ(ラベル)などには身震いをしてきた(いまでも一番好きなボレロだ)。しかし多くの選ばれた人たちによって演奏されるクラシック音楽は、なにか最後の一押しの説得力に欠ける気がする。人間としても成熟し完成された技術と感性を持ってして演奏されても、私には何かが足りない。それは教え込まれたものだからか。はたまたそもそも金持ちの音楽だったことに起因しているか。一方、四氏をはじめとしたオリジナリティ溢れるミュージシャン達には、たとえいかに技術が拙かろうと満足する。伝統を強く意識し自分を構築していく道ではなく、自分のリズムを感じ、自分のフレーズを造り、自分のハーモニーを奏で、自分の技術、方法論を探求し続ける。これが本当の音楽家の動機、アイデンティティではなかろうか。「後にも先にもこれしかできないんだよ・・・」と、一見弱気に聞こえそうなこの言葉は何よりも強いかも知れない。
私は多くのクラシック演奏家を尊敬し愛聴している。でもどこか寂しい。極めて高度なレベルにありながら、また何一つイヤミ、けれんみなく演奏されていても、本人に最後の最後の根っこがない感じがする。ユパンキは一音一声聴いただけで涙が出てしまうほどの真実味とスピードを持っている。それは私自身のコンプレックスでもあるのか。(2001/6/23)
copyright(c)Hiroki Koichi,2001