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「TANGO IMPROVISADO」CD評
「サウンド・ステージ」1995年11月
都内、各地のライブハウスで活動するギタリスト、廣木光一。意外と人材の少ない日本のジャズ系ギタリストとしては豊富なキャリアと実力、独自の創造的な音楽を兼ね備えた数少ない中の一人である。これは、自己のレーベルBIYUYAから3枚目のアルバム。前2作は、グループによるハードなジャズだったが、今回は今彼が最も真剣に取り組んでいるアルゼンチン・タンゴを素材とした、アコースティック・ギター・ソロだ。巨匠ピアソラの3曲以外は、主にインプロヴィゼーションを中心としたオリジナル曲だが、全体を通して全く違和感が無いほどタンゴを自分の表現方法としている。タンゴの持つ二面性、「もの哀しい美しさ」と、廣木が特に意識している「切れるような鋭さ、激しさ」とが、一本のギターから溢れる名演だ。(ディスクユニオン/堀川秀夫氏)
「サウンド・ステージ」1995年11月
あるジャズメンたちはしばしば「タンゴ」に魅せられる。タンゴのリズムに凝縮されている切実さに心奪われるからだろう。それは人生の最も高潮した瞬間を切り取った切実さ、とでもいったらよいか。ギタリストの故、高柳昌行もそうだった。故人の弟子だった廣木光一が、一瞬の焔に賭ける即興演奏家としての真摯な情熱をタンゴに傾注したそのアコースティック・ギターのソロ演奏は、自己の求道的な精神をこの切実さに重ねあわせた厳しい美しさをにじませていて印象深く迫る。自身のオリジナルに加えて敬愛する故ピアソラの作品が3曲。ジャズマンとしての美意識がタンゴの哀感漂うセンティミエントを浮かびあがらせているところに、廣木のタンゴへの思い入れや内実の豊かさを見ることができる。終曲に配した映画主題歌「魅惑のワルツ」の柔らかさが異彩を放つ。高柳、ピアソラ両人の微笑みが見える。聴きようによっては、両故人が廣木の指と心を震わせているのだ。(悠 雅彦氏)
「オーディオ・アクセサリー」1996年7月号
ジャズギタリストの廣木光一が、南米のリズムを母体にソロで綴ったアルバム。現代タンゴの巨匠、ピアソラの曲も3曲含む。まず、ひとつの情景が浮かぶ。男が一人でタンゴを弾いているのだ。音は鮮明だ。ギターの弦の擦れ音が美しい。録音にはソニーの真空管マイクのほか、ノイマン87、AKGを使用したという。あまりの鮮明さに、彼の独り姿がよりリアルに迫ってくる。酔うようなつまびき。突然、リズムが規則的になり血が沸き立つ。私は、熱情的でけだるい南米の血に思いを馳せる。南米ってとこは、視界がじりじりして、地平線が時たま曲がって見えたりするんだな。人は皆、目が合っても媚びたりせずに、じっと見つめるんだ。そして、ざわめきの中からアルゼンチン・タンゴが聴こえてくるんだな。...しかし、ここにはざわめきはない。ギターの男独り舞台だ。彼の息づかいが、ギターの音以外何もない空間から遠めに聴こえてくる。彼の孤独な作業がより鮮明に、艶色を帯びて浮き立ってくる。耳をすませ、と言っている気がする。(磯野氏)
「ジャズ・ライフ」1995年11月号
今月のレヴューではギターものを5枚聴き、つごう17人のギタリストの聴き比べをすることになったわけだが、演奏から立ちのぼる切迫したリアリティという点では、この作品が最も印象的だった。ギター1本で「タンゴ」のモチーフによる即興演奏を行い、間にピアソラの曲と「魅惑」を挟む・・・という構成のこのアルバムでの廣木光一の演奏は、極めてストイックなものだ。そうした自らが設定した枠の中で、彼は緊張感を持続させて濃密な時間を作り上げ、フィンガリングの端々から、深く、強い「思い」を滲み出させているのだ。音としっかり対峙しないと良さがわかりにくい音楽であるかもしれないが、そうする価値は充分にある。(村井康司氏)
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